20年以上、理論だけが先行していた「核時計」が、ついに動き始めました。
この記事では、2026年6月に中国と欧州の2チームが報告した世界初の実働核時計の仕組みと、GPSや暗黒物質探索への応用可能性を整理します。
この記事でわかること
- 核時計が原子時計と何が違うのか
- なぜ周期表の中でthorium-229だけが候補になるのか
- 2チームがどうやって「時計」として動かしたのか
- 今後の実用化で何が変わるのか
電子ではなく原子核で時を刻む
現在最も精密な時計は、原子の電子が特定のエネルギー準位間を行き来する際の光の振動数を数える原子時計です。電子は外界の電場や磁場の影響を受けやすく、ノイズの一因になります。
核時計は、この基準を原子核そのものに移します。原子核は電子よりはるかに小さく、外部環境から隔離されているため、理論上はより安定した時刻基準を作れます。PeikとTammが2003年に提案して以来、物理学界が追い続けてきた次世代の時間計測技術です。
ただし、ほとんどの原子核のエネルギー遷移はレーザーでは届かない高エネルギー域にあります。周期表全体を見渡しても、レーザーで直接励起できる核遷移を持つのはthorium-229だけです。この同位体の核には約8.4eVという異常に低い励起状態があり、波長148nm前後の真空紫外(VUV)光でアクセスできます。
20年越しの難題は「フィードバック」だった
2023年以降、VUVレーザーによるthorium-229の共鳴励起や吸収分光は次々と成功しました。しかしそれまでの実験は、外部の周波数基準にレーザーを固定して核を「観測」する段階にとどまっていました。
時計として動かすには、逆の仕組みが必要です。レーザーの周波数を核遷移そのものにロックし、核の共鳴がレーザーを補正し続けるフィードバックループです。Science Newsの報道では、参加していない物理学者Lars von der Wenseが「これが実際の時計と呼ぶための最後の欠けていたステップだった」と評価しています(参考)。
2026年6月、清華大学を中心とする中国チームと、TU WienのVienna Center for Quantum Science and Technologyを中心とする欧州チームが、独立にこのループを実装しました。両チームともthorium-229を蛍石(CaF2)結晶に埋め込み、連続波VUVレーザーで核遷移を照射する構成です。
2チームの実装と性能
清華大学チームの論文(2026年6月7日付)では、カドミウム蒸気中の四光混合で10μWの148.4nm連続波VUVレーザーを生成し、自社製のthorium-229:CaF2結晶に照射しています。吸収分光の信号をロックイン検出し、得られた誤差信号でVUVレーザーの周波数を核共鳴に固定しました。
最終構成では分数周波数不安定度が2×10⁻¹²/√τ(τは平均時間)に達し、測定区間内で10⁻¹⁴付近まで改善しました。異なる2つの結晶で測定した遷移周波数は10⁻¹³レベルで一致し、固体中の核周波数基準の再現性も示されています。
TU Wienチームは、148nmのVUVレーザーを連続吸収分光に基づく高速フィードバックで核遷移に安定化しました。室温の数ミリサイズのCaF2結晶にthorium-229をドープし、分数周波数不安定度は3×10⁻¹²/√τで、1日間の連続運転で10⁻¹⁵に近づきます。
両チームの戦略は似ていますが、最適化の重点が異なります。中国側はより高出力のVUVレーザーを、欧州側はより高濃度のthorium-229結晶を採用しました。TU WienのThorsten SchummはScience Newsの取材に対し、「一部の測定では、すでにすべての原子時計を上回っている」と述べています(参考)。
暗黒物質探索での即戦力
欧州チームは時計性能の検証に加え、核時計を科学プローブとして使いました。超軽量暗黒物質が核内のエネルギー準位をわずかに揺らすと仮定し、20秒から1日の時間スケールで遷移周波数の周期的変動を探索しています。暗黒物質の痕跡は見つかりませんでしたが、光子やクォークへの結合に関する制約は、最高水準の原子時計比較に匹敵、あるいは強い力への結合ではそれを上回る結果です。
thorium-229の遷移エネルギーは、メガ電子ボルト級のクーロン力と核力が偶然にも相殺された結果として極めて低くなっています。このため、基本定数の変動や新物理に対する感度は、最も敏感な原子時計遷移よりも数桁高いと予測されています。開発途上の核時計でも、基礎物理の探索には即座に競争力を持ちます。
GPSや重力計測への道
現時点の核時計は研究室に収まるプロトタイプです。最高性能の光学原子時計を時間精度の面で上回る段階にはまだ達していません。ただし、固体ホストに核を埋め込む方式は小型化と堅牢性に有利で、TU Wienの論文ではレーザー出力の増強や結晶の改良により、数桁の性能向上が見込めるとしています。
将来的には衛星ナビゲーションの精度向上、重力場の精密計測、相対性理論の検証などに応用できる可能性があります。核遷移は電子遷移とは異なる感度を持つため、従来の原子時計では届かなかった物理現象の検出にも使えます。
核時計が切り開く計測の地平
世界初の実働核時計は、電子から原子核へと計測の基準点を移した転換点です。20年越しの研究が結実した背景には、148nm連続波VUVレーザーの実用化と、高品質なthorium-229結晶の育成があります。
2チームの独立した成功は、再現性の高さを示しています。次の課題は装置の小型化と、複数の核時計同士の比較による精度のさらなる向上です。時刻計測の最前線に、原子核という新しい土台が加わりました。