科学研究のデータ量は、人間のチームだけでは整理しきれない規模に達しています。MicrosoftはBuild 2026で、科学研究向けエージェント型AI基盤「Microsoft Discovery」の一般提供を発表しました。

この記事では、Microsoft Discoveryが何を解決するのか、Discovery Engineの仕組み、Majorana 2量子チップ開発での活用事例、個人向けアプリの試し方までを整理します。

この記事でわかること

  • Microsoft Discoveryの一般提供と、Build 2025プライベートプレビューからの位置づけ
  • Discovery Engineが担うマルチエージェントの科学研究ワークフロー
  • Majorana 2開発で実証された材料探索の短縮効果
  • 無料で試せるMicrosoft Discoveryアプリの前提条件と対応環境

https://azure.microsoft.com/en-us/solutions/discovery

Build 2026で一般提供へ

Microsoft Discoveryは、2025年のBuildでプライベートプレビューとして初公開されました。2026年6月のBuild 2026で、全組織向けの一般提供(GA)が始まっています。

同時に、個人や小規模チーム向けの「Microsoft Discoveryアプリ」もプレビュー公開されました。エンタープライズ版とアプリ版は、同じコア概念とAPIを共有する2つの提供形態です。

Microsoftは、科学研究が単なる情報検索の問題ではなく、仮説・実験・検証・反復を伴う複雑なプロセスであると位置づけています。Microsoft Discoveryは既存のR&D環境を置き換えるのではなく、その中でエージェント型AIを組み込む基盤として設計されています。

仮説から検証までを自動化するDiscovery Engine

Microsoft Discoveryの中核は「Discovery Engine」です。Discovery Engineは、グラフ型の知識基盤の上で複数の専門エージェントを統括する認知オーケストレーター(指揮役)として動作します。

エージェント型AIとは、1つの大規模言語モデルがすべてを担うのではなく、文献解析・シミュレーション・最適化など役割の異なるAIエージェントが連携して課題を進める仕組みです。Discovery Engineは、データ統合、仮説生成、実験設計、シミュレーション、分析、検証、反復という科学研究の一連のループを担います。

プラットフォームはAzure上で動作し、エンタープライズ向けのセキュリティ、ガバナンス、監査証跡を備えています。出力には信頼度スコアと引用付きの調査結果が含まれ、人間が根拠を確認できる設計です。社内の研究データと外部の科学文献を組み合わせ、矛盾する理論や実験結果を横断的に推論します。

対象領域は化学、材料科学、生命科学、生物学、半導体、物理学、量子などにまたがります。HPC(高性能計算)クラスター、大型定量モデル(LQM)、物理ラボのロボットや計測機器との連携にも対応し、将来的には商用R&D向けの量子計算統合も視野に入れています。

Majorana 2開発が示した実用性

Microsoft Discoveryの能力を示す事例として、同じBuild 2026で発表された量子チップ「Majorana 2」が挙げられます。Microsoftの量子チームは、Discoveryのエージェント型AIを材料探索、製造プロセス最適化、測定の自動化に活用しました。

Majorana 1ではアルミニウムを超伝導体に使っていましたが、Majorana 2では鉛(lead)を採用し、デバイス品質が大きく改善されています。量子ビットの平均寿命は数ミリ秒から20秒以上に伸び、一部では1分を超える測定結果も報告されています。前世代と比べて約1,000倍の安定性向上です。

材料スクリーニングのフェーズは数週間かかっていた作業が数時間に短縮され、チップ開発全体のタイムラインも半分に圧縮されたとMicrosoftは述べています。量子チームが蓄積した約20年分のデータは、従来はサイロ化していましたが、エージェントが再統合して人間では見落としにくい相関を抽出します。

測定の自動化では、人間が数週間かけていたパラメータ調整を、専用エージェントが並列処理で大幅に短縮しました。量子チームの担当者は「scientist in the loop(科学者が最終判断を握る)」の原則を維持し、AIは推奨を出すにとどめています。

導入事例とエコシステム

一般提供に向けたプレビュー期間中、複数の研究機関がMicrosoft Discoveryを活用しています。

Yale Engineeringは、グリッド規模の有機レドックスフロー電池(ORFB)向け小分子設計にDiscovery Engineを使い、計算探索と実験解釈を連携させました。Pacific Northwest National Laboratory(PNNL)では、エネルギー貯蔵材料の探索と、ラボ自動化インフラへの接続を進めています。BHPは銅浸出ソリューションの探索を、従来の年単位から月単位へ短縮したと報告しています。

パートナー企業として、Ginkgo Bioworks(自律ラボとの連携)、Causaly(生物医学エビデンス)、Wiley(生命科学文献エージェント)などがエコシステムに参加しています。GitHub上のmicrosoft/discoveryリポジトリには、エージェントとスターターキットのカタログも公開されています。

個人向けアプリで試す方法

Microsoft Discoveryアプリは、エンタープライズ版の一部機能をローカルPCで試せるプレビュー版です。GitHubのMicrosoft Discoveryリポジトリから無料でダウンロードできます。

利用にはGitHub Copilotのアクティブなサブスクリプション(いずれかのプラン)が必要です。アプリはローカルで動作し、GitHubアカウント経由でCopilotの会話・推論機能を使います。文献探索、仮説生成、科学的推論、反復実験の入り口として設計されています。

現時点(2026年6月時点)のデスクトップアプリはWindows 11 x64のみ対応で、最新版はv0.15.3です。macOSとLinuxは未対応です。小規模プロジェクトで試した成果は、規模が大きくなった段階でAzure上のMicrosoft Discovery本番環境へ移行できます。

注意点と今後の展望

Microsoft Discoveryは、既存文献や社内ナレッジベースに依存する領域で強みを発揮します。未開拓の学際分野では、人間によるレビューを挟むガードレールが必要になる場合があります。

Microsoftは、実用的なスケーラブル量子コンピュータの到達目標を2033年から2029年へ前倒ししました。Majorana 2の成果は、Microsoft Discoveryが自社の最先端研究だけでなく、他組織のフロンティアR&Dにも転用できることを示しています。科学研究チームがデータ管理から解放され、仮説判断と戦略的意思決定に集中できる環境へ、エージェント型AIが本格的に入り込む段階に来ています。