最先端チップの製造現場に、AIの計算基盤が入り込みました。TSMCはSynopsysとNVIDIAと連携し、計算リソグラフィー向けライブラリ「cuLitho」を本番環境で稼働させています。半導体製造で最も計算量が大きい工程をGPUで処理することで、マスク準備の時間短縮と省電力化を同時に狙う動きです。

この記事では、3社連携の全体像と、ファブ内で何が変わるのかを整理します。

  • cuLithoが解く「計算リソグラフィー」の課題
  • Synopsys Proteusとの連携の仕組み
  • 本番導入で得られる効果と今後の展開

半導体製造の最大の計算負荷がボトルネックになっていた

先端プロセスほど、チップの回路をシリコン上に焼き付ける前の準備に膨大な計算が必要になります。この工程を計算リソグラフィーと呼び、光の回折やレンズの歪みを補正するマスクデータを作る処理が中心です。補正手法の一つが光学近接効果補正(OPC)で、マスク上のパターンを微細に調整して、設計どおりの形状がウェハーに転写されるようにします。

NVIDIAの発表によると、計算リソグラフィーは半導体製造プロセス全体で最も計算負荷が大きい工程です。1枚のチップ用マスクセットだけで、CPU換算3,000万時間以上の計算を要するケースもあり、ファブ内に大規模なCPUサーバー群を置くのが一般的でした。3nm以下の先端ノードでは、ノードが進むほどOPCの複雑さと計算コストが指数関数的に増え、マスク準備の遅れが設計から量産までのサイクル全体を押し下げる構造になっていました。

TSMC・Synopsys・NVIDIAの3社連携でcuLithoが本番稼働へ

2024年3月のNVIDIA GTCで、TSMCとSynopsysがNVIDIA cuLithoを本番導入すると発表されました。cuLithoはGPU向けに最適化された計算リソグラフィー用ライブラリで、従来CPUサーバーで処理していた計算をNVIDIA GPUへ移します。

実際のマスク生成処理は、EDA(電子設計自動化)大手Synopsysの「Proteus」が担います。ProteusはOPCやマスク合成の実務ソフトウェアで、TSMCのスキャナがウェハーに回路を焼き付ける際に使う補正済みマスクデータを生成します。SynopsysはProteusをcuLitho上で動かすことで、CPUベースの処理と比べて計算リソグラフィーのワークロードを大幅に短縮できると説明しています。

役割分担は明確です。Synopsysがソフトウェア、NVIDIAがGPU基盤、TSMCがファブ運用を担い、設計ツールと製造現場の境界が従来より密接に結ばれています。TSMCの魏哲家CEOは、NVIDIAとのGPU統合により「スループットの劇的な改善、サイクルタイムの短縮、電力要件の削減」が実現したと述べ、cuLithoの本番導入が半導体スケーリングの要になると位置づけています。

GPU化と生成AIで、どれだけ速くなるのか

NVIDIAの技術資料では、500台のHopper世代GPUでcuLithoを動かすと、従来4万台のCPUシステムと同等の処理が可能とされています。電力は約9分の1、設置面積は約8分の1に抑えられるという試算も示されています。2024年の共同検証では、カーブ形状を扱うカーブリニアフローで45倍、直線グリッド主体のマンハッタンフローで約60倍の高速化が報告されました。

さらにNVIDIAは生成AIアルゴリズムをcuLithoに組み込み、光の回折を考慮した逆マスクの近似解を先に生成する手法を追加しています。この生成AIワークフローは、cuLitho単体のGPU高速化に加えてさらに2倍の短縮をもたらすと発表されています。ファブの工程変更のたびにOPCをやり直す必要があるため、計算時間の削減は開発サイクル全体の短縮に直結します。

本番稼働での効果と、ファブ全体へのAI展開

2026年6月のNVIDIA GTC Taipeiでは、TSMCにおけるcuLitho本番運用の成果が改めて示されました。CPUベースの計算リソグラフィーと比較し、コスト効率またはサイクルタイムで20〜50%の改善を達成しながら、設備投資のコストは同等水準を維持していると説明されています。試験段階の40〜60倍という数字より控えめですが、実際のファブ運用で測った現実的な改善幅として示されています。

この動きはマスク準備にとどまりません。同発表では、TSMCがNVIDIA CUDA-Xライブラリ群を製造ライフサイクル全体に適用していることが明らかになりました。トランジスタやプロセスのシミュレーションにはcuEST、高度なプロセス制御の大規模分析にはcuML、ファブの生産スケジューリング最適化にはH200 GPU上のCUDA計算を使っています。欠陥検査にはNVIDIA MetropolisとTAO ToolkitによるビジョンAIを導入し、ナノメートル規模の欠陥検出精度を高めつつ、ラベリングや再学習の負荷を減らす取り組みも進めています。

TSMCはさらにNVIDIA Omniverseを使った仮想ファブ環境「FabTwin」の構築も検討中です。物理的な設備変更の前に、工程ツールのレイアウトやシミュレーションをデジタル空間で試せる仕組みで、設備投資の判断を前倒しできるとされています。

チップメーカーとエンドユーザーへの波及効果

マスク準備が短縮されると、設計からシリコン化までのリードタイムがそのまま縮みます。TSMCで先端チップを製造するApple、AMD、NVIDIA自身などの顧客にとって、同じ期間内により多くの設計イテレーションを回せるか、製品投入を前倒しできる可能性があります。AIアクセラレータ需要が急拡大するいま、ファブの処理能力そのものではなく「マスクをいつ作れるか」が競争力に直結する場面も増えています。

一方で、TSMCがどのファブやプロセスノードでcuLithoを使っているか、ウェハー歩留まりへの具体的な影響など、公開されている定量データはまだ限定的です。3nm以下の最先端ノードで効果が大きい一方、成熟ノードへの展開範囲も今後の注目点になります。それでも、GPUと生成AIを製造現場の中核ワークロードに据えた点は、半導体業界の製造DXにおける転換点と言えます。AIインフラを作るために使われてきたGPUが、今度はそのチップを作る工程そのものを加速する構図が、ここで現実のものになっています。