量子コンピュータの実用化を「数年以内」と公言する企業に、学術誌が正式な反論を突きつけた。

2026年6月2日、MicrosoftはBuildで次世代チップ「Majorana 2」を発表し、従来比1000倍の安定性と2029年までの実用化ロードマップを示した。ところが6月24日、学術誌Natureは同社のトップロジカル量子ビット(誤りに強いとされる量子ビットの一種)に関する主張を問う査読済み論文を掲載した。Microsoftは同日、Nature上で正式な反証を公表している。

この記事でわかること

  • Majorana 2の発表内容と、直後に起きた学術論争の概要
  • Henry Legg氏がNatureに掲載した反論の具体的な論点
  • MicrosoftがNatureで示した反証の内容と、2029年ロードマップへの姿勢
  • 暗号技術への影響という文脈で、この論争が何を意味するか

Majorana 2は何を主張したのか

https://news.microsoft.com/source/features/innovation/majorana-2-microsoft-discovery-agentic-ai/

2026年6月2日、MicrosoftはBuildでMajorana 2を公開した。同社によれば、新チップの量子ビットは平均20秒、最長で1分間状態を保ち、前世代のMajorana 1と比べて1000倍安定したという。Majorana 1では量子ビットの寿命は1〜12ミリ秒だった。

技術面の変更点は材料スタックの刷新だ。アルミニウム製超伝導体を鉛に置き換え、半導体活性層もインジウム砒化物(InAs)とインジウム砒化アンチモン(InAsSb)の組み合わせに更新した。開発にはMicrosoft Discoveryのエージェント型AIが使われ、材料探索や試験の自動化を加速したと説明されている。

Microsoftはこの進展を受け、スケーラブルな実用量子コンピュータの到達時期を2033年から2029年へ前倒しした。量子ハードウェア担当のChetan Nayak氏は、同社が「結果とロードマップの両方に自信を持っている」と述べている。

トップロジカル量子ビットとは何か

Microsoftが採る方式は、半導体ナノワイヤと超伝導体を組み合わせ、理論上予測されるマヨラナ粒子(電子の集団挙動として現れる準粒子)に情報を載せるアプローチだ。トップロジカル量子ビットは、IBMやGoogleが進める超伝導回路型などと比べ、ノイズに強く誤りが少ないと期待されている。

ただし、マヨラナ粒子の直接観測は難しく、通常の物質状態がトップロジカル状態と似た信号を出すことがある。検出の難しさが、今回の論争の背景にある。

Natureに掲載された反論の中身

2026年6月24日、スコットランド・セントアンドリューズ大学の物理学者Henry Legg氏による論文が、Natureの「Matters Arising」(既刊論文への正式な批判欄)に掲載された。対象は、Microsoft Quantumチームが2025年にNatureに発表したトップロジカル量子ビットの実証を報じた論文だ。

Legg氏の主張は明快だ。「Microsoftは、単一のトップロジカル量子ビットを支える基礎物理を実証していない」と述べている。同氏は、同社がマヨラナ粒子の証拠とする信号は、実験ノイズや量子ドット(電子を閉じ込めた微小構造)の影響で説明できる可能性があると指摘した。

技術的な論点はさらに具体化している。Legg氏は、Microsoftが採用するTopological Gap Protocol(TGP、トップロジカルギャップ検出の手順)の解析コードに問題があったと分析している。The Registerの取材によると、プロット用コードが最大領域だけを表示するフィルター(zbp_cluster_numbers=[1])で固定されていたほか、バイアス電圧の処理で配列のインデックスと物理値を取り違えるミスがあったという(参考)。

Legg氏は、論文に載らなかった輸送データ(粒子の移動を測る実験結果)を再分析した結果、デバイス内に大きな無秩序が存在し、トップロジカルギャップの前提を満たさない可能性を示すと主張している。査読者への回答で「プロトコルを通過した唯一の領域を調べた」と説明した点も、実際には他の領域が存在したと批判している。

ピッツバーグ大学の量子研究者Sergey Frolov氏は、Scientific Americanの取材で「今回のMatters Arisingは、Nature論文に科学的価値がないことを痛切に示している」と述べ、過去にMicrosoftが撤回したNature論文と同様の扱いが必要かもしれないと指摘した(参考)。

Microsoftの正式反証

Microsoftは同日、Natureに正式な反論を掲載した。同社はLegg氏の分析が「実験の物理機構ではなく、輸送チューニング手順の選択的な検討に偏っている」と批判している。信号測定が網羅的なものではなかった点や、TGP処理の「軽微なオフバイワンピクセルのバグ」は結果に影響しないと説明した。

反論の核心は、容量測定(キャパシタンス測定)にある。Microsoftは、輸送スペクトルへのLegg氏の解釈は根拠が薄く、研究の中心である容量信号やRTS現象(ランダムテレグラフ信号、準粒子による状態のランダム反転)を説明できる代替物理モデルをLegg氏が提示していないと主張している。Nayak氏はThe Vergeに対し、「Legg氏の批判は我々の知見に対する実質的な科学的挑戦にはならない」と述べた(参考)。

MicrosoftはDARPAのQuantum Benchmarking Initiative(量子ベンチマークイニシアチブ)の最終フェーズに進んだことも根拠に挙げる。同イニシアチブでは、公開データと社内データの両方が独立した専門家チームによって評価されたという。

Majorana 2への疑問は消えたのか

論争のタイミングは、Majorana 2発表の直後だ。Legg氏はThe Vergeに対し、Majorana 2を説明する査読前のプレプリントは、昨年指摘した根本問題を解決していないと述べた。

Legg氏が特に注目するのは、X測定(量子ビットとしての操作を示す測定)の欠如だ。Majorana 1では最終的にX測定を報告したが、Majorana 2のプレプリントにはそれがない。同氏は、「1000倍の信頼性向上」が指すのは古典ビットとしてのパリティ(偶奇性)の寿命であり、重ね合わせ状態を保持する量子ビットの実証ではないと指摘している。The Registerの取材では、「単一デバイスに基づくプレプリントに信頼を置くべきではない」とも述べた(参考)。

Microsoftの過去の経緯も論争を深めている。2021年には、マヨラナ粒子の観測を報じたNature論文を撤回している。今回のLegg氏の論文は、2025年2月のMajorana 1発表の約1か月後にarXivに投稿され、Natureの査読を経て1年超かけて掲載された。

暗号と量子計算の文脈

この論争は、実験室の話題にとどまらない。量子コンピュータが十分な性能に達したとき、RSAなどの公開鍵暗号を破る「Q-Day(量子の日)」が現実味を帯びると、暗号資産の安全性にも関心が向かう。Decryptの報道は、Legg氏の批判がQ-Dayそのものを否定するものではない一方、Microsoftが根拠とする証拠の信頼性を問うものだと整理している(参考)。

一方、GoogleやIBMはすでにMajorana 1や2より進んだ量子マシンを示している。現時点で、どの方式も実用的な計算を実証したとは言い切れない。トップロジカル方式が成立すれば誤り訂正の負担を大きく減らせる可能性があるが、その前提であるマヨラナ粒子の実証が揺らいでいる。

科学のプロセスとして、査読誌での正式な反論と反証は珍しくない。問題は、Microsoftが2029年という具体的な商用化目標を掲げる中で、基礎物理の実証が独立した研究者の間で合意に至っていない点だ。今後、Majorana 2のデータが査読を経て公開され、他グループが再現検証を行うかどうかが、ロードマップの説得力を左右する。