タンパク質の立体構造を原子レベルで見るcryo-EM(低温電子顕微鏡)は、2017年のノーベル化学賞で注目を集めました。一方で、顕微鏡に載せる試料の作製はいまだ手作業が多く、氷の厚さや品質のばらつきが実験の成否を左右します。EMBL Grenobleの研究チームが開発した「EasyGrid」と「EasyGrid Control」は、このボトルネックを装置レベルで解消する試みです。

この記事では、2026年6月にNature Methodsに掲載された研究成果の要点と、実務に効く変更点を整理します。

この記事でわかること

  • EasyGridとEasyGrid Controlがそれぞれ担う役割
  • 従来の手作業やプランジ凍結と何が違うか
  • 単一粒子解析から細胞観察、cryo-ETやX線ナノイメージングへの応用範囲
  • 今後のサービス提供と商用化の見通し

https://www.embl.org/news/science-technology/easygrid-towards-better-automation-in-cryo-electron-microscopy/

cryo-EMが抱える「試料作製」の壁

cryo-EMは、生体分子を極低温で瞬間凍結(硝化)し、電子ビームを通して2次元画像を集め、計算で3次元構造を復元する手法です。構造生物学ではX線結晶学やNMR(核磁気共鳴)と並ぶ主要な手段になっています。

課題は顕微鏡そのものより、試料の前処理に集中します。試料を載せるグリッド上の氷層が厚すぎたり氷結晶が混じったりすると、電子が十分に透過せず、以降の撮像が成立しません。従来は熟練者が手作業でグリッドを扱い、最適な条件を探すため、再現性・時間・コストの面で負担が大きいのが実情です。さらに、電子顕微鏡に載せる前に試料品質を手軽に確認する手段も限られ、貴重な顕微鏡時間を使って初めて良し悪しが分かるケースも多くあります。

EMBL Grenobleの計測機器開発チーム(Papp Team)は、X線結晶学の自動化で実績を持つメンバーが2017年からこの課題に取り組み、数年かけて試作機を改良してきました。

EasyGridとEasyGrid Controlの役割

2026年6月23日付けでNature Methodsに掲載された論文(DOI: 10.1038/s41592-026-03127-5)では、2つの装置が紹介されています。

EasyGridは、試料の硝化までを一気通貫で自動化するモジュール型プラットフォームです。グリッドへの試料載せから凍結、液体窒素温度での一時保管まで、人手を介さずに繰り返し実行できます。主な工程は次のとおりです。

  • プラズマ処理によるグリッド表面の親水性調整
  • マイクロ流体ディスペンサーによるピコリットル単位の試料滴下
  • 圧力波によるブロットレス(吸い取りなし)の試料拡散
  • エタンジェットによる高速凍結(バレグリッド方式)

EasyGrid Controlは、硝化後のグリッド品質を低温のまま評価する装置です。光干渉計(デジタルホログラフィック顕微鏡)で氷厚マップを生成し、電子顕微鏡に載せる前にスクリーニングできます。EasyGridで作った試料だけでなく、従来手法で作ったグリッドにも使えます。論文では、電子断層撮像で得た氷厚測定と整合する結果が示されており、顕微鏡を占有せず品質確認ができる点が新しいです。

共同第一著者のVic Armijo氏(メカトロニクスエンジニア)は、EMBLの公式発表で「グリッドの投入からスクリーニングまで一連の工程が自律的に行われる」と説明しています。最良のグリッドだけを電子顕微鏡に載せられるため、最適化の速度と再現性が上がる、という位置づけです。

何が変わったか:技術的な中身

ブロットレス拡散とジェット凍結

従来の多くの手法は、グリッドを液体エタンに浸すプランジ凍結が中心です。EasyGridはグリッドを銅製カートリッジに挟まないバレグリッドのまま、対向するエタンジェットで凍結します。冷却速度が上がり、細胞内部まで硝化が届きやすくなる、とチームは報告しています。

試料の薄層化には、圧力波でグリッド両面に短い空気のblastを当てる方式を採用しています。単一粒子解析向けの生化学試料では約30ミリ秒、細胞を載せたグリッドでは培地除去のために約300ミリ秒で処理できます。拡散から凍結までの移動は200ミリ秒以内です。

単一粒子から細胞、cryo-ETまで

論文では、apoferritin(1.9Å)、酵母リボソーム(2.4Å)、細菌ロドプシンKR2(2.3Å)など、複数のタンパク質複合体で高分解能構造が得られたと報告されています。細胞観察では、HeLa細胞をジェット凍結したラメラ(薄片)を解析し、プランジ凍結と比べて氷の硝化品質が改善したとしています。定量解析では、EasyGridで作製した試料の77%が「明確に硝化」と分類されたのに対し、プランジ凍結は11%でした(論文のFigure 5)。大きなヒト細胞の核内では、従来法と比べて硝化品質が7倍改善した、とも報告されています。

応用先はcryo-EMの単一粒子解析(SPA)にとどまりません。cryo-ET(低温電子断層撮像)や、シンクロトロンを使うX線ナノイメージングとも組み合わせやすい設計です。フランスのInsermのSylvain Bohic氏は、治療診断用ナノ粒子の細胞内挙動を追う研究で、均一な非晶質氷層に細胞を包み込める点を評価しています。

研究者はどう使えるか

プロトタイプはEMBL GrenobleからEMBL Imaging Centre(ハイデルベルク)へ移設済みです。ハイデルベルクとGrenobleの計3台は、EMBL内の研究者と、Instruct-ERIC経由で科学コミュニティ向けのサービスとして利用できる予定です。

商用化も進んでいます。Armijo氏が率いるEMBL Grenobleのスピンオフ会社を、EMBLの技術移転部門EMBLEMが支援します。市場に最初に出るのは、分解能を上げたEasyGrid Controlの改良版で、蛍光顕微鏡モジュールをオプション搭載できる予定です。その後、細胞硝化に特化した簡易版EasyGridが続く見込みです。チームは試料作製と品質管理を1台に統合した第3世代の開発も進めています。

既存の試料作製装置との違い

cryo-EM試料の自動化装置は、プランジ凍結型やマイクロ流体・ジェット凍結型など、すでに複数の選択肢があります。EasyGridの特徴は、工程全体をモジュールとして束ね、品質管理(EGC)まで同一プラットフォーム上で設計した点です。

細胞をグリッド上で培養してから凍結するin situ(細胞内)観察では、銅カートリッジに挟む方式は細胞毒性の問題があり、培地除去の自動化がない装置もあります。EasyGridはバレグリッドとジェット凍結、圧力波による培地除去を組み合わせ、厚い哺乳類細胞の硝化を改善した、と論文は位置づけています。

品質管理については、従来は電子顕微鏡で低倍率アトラスを撮り、厚い氷の領域を除外するのが一般的でした。EasyGrid Controlは低温干渉計で同様の判断材料を、顕微鏡時間を消費せず取得できます。2倍率ではグリッド1枚あたり約5分、10倍率のタイルモザイクでは約15分でマップ化できる、と論文に記載があります。

構造生物学の「解像度革命」の次の一手

cryo-EMは撮像・画像処理の進歩で「解像度革命」と呼ばれる段階を経ました。いまボトルネックが試料作製に移っている背景で、EasyGridは実験の再現性とスループットを底上げする装置として位置づけられます。

全工程の自動化、ジェット凍結による細胞内硝化の改善、電子顕微鏡前の氷厚スクリーニング——いずれも、研究施設の稼働率と成功率に直結する変更です。Nature Methodsへの掲載とEMBL Imaging Centreへの導入は、プロトタイプ段階を超え、実務で検証が進んでいるサインと読めます。商用版のEasyGrid Controlが市場に出れば、顕微鏡アクセスが限られたラボでも、試料品質の事前チェックが現実的な選択肢になる可能性があります。